また、リーゼントにロックンロールという演奏スタイルもビートルズのハンブルグ時代のイメージを模倣したジョニー大倉のアイデアで、デビュー前の矢沢永吉のおかっぱ頭を、ジョニーが数ヶ月かけてリーゼントにするように説得したというのも意外な話である。
もちろんキャロルの顔ともいうべき、矢沢永吉のバイタリティと曲作りの素晴らしさぬきにはその後のキャロルの活躍は語れないが、フォーク全盛の時代、颯爽と現れブームをつくっていった。
しかし、ジョニーの突然の失踪など、矢沢永吉とジョニー大倉の確執は、徐々にテンションの高いキャロルの音楽そのまま一触即発状態になっていった。
解散は個性の強さゆえの自然の流れであったのだろう。 |
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